アンパンマン前史


年 表

西 暦
(和 暦)
特記事項
1543年
(天文12年)
日本にパンが!!

 ポルトガル人が種子島に漂着し、“パン”が日本にやって来た!! その後、パンは、日本の文化に広まっていく。

1874年
(明治7年)
あんぱん誕生!!

 銀座木村屋のパン職人、木村安兵衛氏が日本にパン文化を広めるため、パンと和菓子を融合させた“あんぱん”を考案!!
 翌年の4月4日、明治天皇に献上。これを機に、全国であんぱんブームが起こる。

1919年
(大正8年)
2月6日、やなせたかし先生誕生!!

 アンパンマンの原作者やなせたかし先生は、この年2月6日、高知県香美郡在所村(現香北町)にて生まれる。
 代表作品は、『やさしいライオン』、『ボオ氏』、『チリンのすず』、『さよならジャンボ』、『おむすびまん』、『ニャニがニャンダーニャンダーかめん』など。歌の作詞では、『手のひらを太陽に』が有名。
 1996年7月には、生まれ故郷に『アンパンマンミュージアム』も開館した。

1937年
(昭和12年)
東京高等工芸学校入学!!

 この年、やなせ先生は、東京高等工芸学校図案科(現千葉大学工学部)に入学。学生時代は、担任の先生からの「芸術は学校ばかりではなく、町で勉強し吸収するものだ!」という教えで、 銀座でカフェや映画鑑賞を楽しみ、「銀座学校」に通っていた。そのことが、後に作品に影響する。

1939年
(昭和14年)
東京高等工芸学校卒業!!

 この年、やなせ先生は、東京高等工芸学校図案科(現千葉大学工学部)を卒業。卒業後は、田辺製薬の宣伝部に勤務。

1941年
(昭和16年)
入隊

 太平洋戦争がぼっ発し、多くの若者が徴兵。やなせ先生は、野戦重砲連隊に入隊し、中国戦線に出動する。そこでは、軍の宣伝活動として、紙芝居を持って農村を回ったこともあった。また、この時の悲惨な経験が、後に作品に影響する。

1945年
(昭和20年)
8月15日、終戦

 この日、やなせ先生は上海で終戦を迎えた。帰国後、軍隊で一緒だった同姓の柳瀬君に声をかけられ、屑ひろい会社に入社。この時、拾った雑誌がきっかけで、漫画家になる夢がよみがえる。そして、その一ヵ月後、高知新聞社に就職し、『月刊高知』の編集部に入る。

1947年
(昭和22年)
三越宣伝部

 この年、やなせ先生は東京日本橋の三越に入社。現在も使われている包装紙は、この時、やなせ先生が文字を入れたものである(当初は、クリスマス期間限定の予定だった)。

『独立漫画派』 

 この頃、やなせ先生は三越に務めながら、漫画もあっちこっち投稿していた。そして、ぼつぼつ注文と注文がきて、務めが終わると『独立漫画派』の事務所へ通うようになった。そこでやなせ先生は、小島功さん、井上洋介さん、久里洋二さん、長新太さん、関根義人さん、吉行淳之介さん、中村メイコさんなど、有名な方と一緒に仕事をする。中村メイコさんの父は、やなせ先生が尊敬していた中村正常さんであった。

1948年
(昭和23年)
結婚

 やなせ先生は、この年、高知新聞社で同期だった小松暢さんと結婚。

1951年
(昭和26年)
2月5日、声優中尾隆聖さん誕生!!

 テレビアニメ『それいけ! アンパンマン』で、ばいきんまんの役を演じる中尾隆聖さん(81プロデュース)は、この年2月5日に生まれる。原作者のやなせ先生と1日違いの誕生日とは面白い。
 代表作品は、『にこにこ・ぷん』のぽろり、『ドレミファどーなつ!』のれっしー、『ドラゴンボールZ』のフリーザ、『楽しいムーミン一家』のスニフ、『ドラえもんズ』の3代目エルマタ・ドーラなど。
 旧芸名は、南谷智晴。本名は竹尾智晴で、この名で芸能活動していたこともある。

1957年
(昭和32年)
9月12日、声優戸田恵子さん誕生!!

 テレビアニメ『それいけ! アンパンマン』で、主人公のアンパンマンの役を演じる戸田恵子さん(グランパパプロダクション)は、この年9月28日に生まれる。
 代表作品は、『キャッツ・アイ』の来生瞳、『ゲゲゲの鬼太郎(3作目)』の鬼太郎、『きかんしゃトーマス』のトーマスなど。女優としても有名で、『HR』の宇部恵子、『ちゅらさん』の下柳聡子、『お水の花道』のよおこ、『新選組!』のお登勢などを演じた。

1960年
(昭和35年)
作曲家いずみたく先生との出会い!!

 大阪のフェスティバルホールで、『見あげてごらん夜の星を』の公演時、やなせ先生は永六輔さんに依頼され、舞台装置を作ることになった。作曲家のいずみたく先生とは、この時のスタッフとして知り会う。
 その後、やなせ先生は彼と1年に1曲ペースで歌を作り、彼が亡くなるまで、生涯の親友として付き合う。代表作品は、『手のひらを太陽に』。アニメ『それいけ! アンパンマン』の挿入歌も、ほとんど、たく先生が作曲している。

1963年
(昭和38年)
詩集『こどもごころの歌』刊行!!

 この年、やなせ先生は、詩集『こどもごころの歌』を自費出版!! この詩集に、先生の代表作品である『手のひらを太陽に』が収録されている。

1964年
(昭和39年)
4月6日、『まんが学校』放映開始!!

 NHKテレビで『まんが学校』が放映開始!! やなせ先生は、その番組に3年間レギュラー出演。放映時間は、毎週月曜午後6時。番組の内容は、やなせ先生が子供たちに絵描き歌などを教えるといったもの。

1966年
(昭和41年)
9月、詩集『愛する歌』刊行!!

 ラジオの仕事で、たくさんの詩を書いたやなせ先生は、その詩を自費出版することを考えた。だが、この詩を読んだ山梨シルクセンター(現サンリオ)の辻信太郎社長は、「自費出版ではなく、うちで出版しましょう!!」と山梨シルクセンターからの出版を提案。こうして、やなせたかし詩集『愛する歌』が誕生!! これを機に、やなせ先生と山梨シルクセンターは、縁が深くなった。

1967年
(昭和42年)
6月、『ボオ氏』入選!!

 『週刊朝日』で、半年連載の百万円懸賞漫画を募集し、そのグランプリーに選ばれたのは、やなせ先生作の『ボオ氏』であった。ボオ氏とは、山高帽子を目深く被ってり、どんな顔をしているかわからないキャラクター。アンパンマン関連の書籍を読めば、必ず一度は目にする。この週間朝日版は1967年7月7日号から12月29日号までの26回に渡って連載された。やなせ先生は、この作品のおかげで漫画家としての復帰。その後、ボオ氏は『月刊詩とメルヘン』で再び登場する。

11月、元祖『やさしいライオン』 

 『PHP〔1967年12月号〕』に、『ブルブルとムクムク』が掲載。この作品は、後にやなせ先生の名作となる『やさしいライオン』の元祖。『やさしいライオン』は、ラジオ、絵本、映画、レコードなどいろいろな分野で活躍したとても偉大な作品である。『やさしいライオン』がなかったら、『アンパンマン』は多分、生まれなかっただろう。

1968年
(昭和43年)
9月、『アゴヒゲの好きな魔女』刊行!!

 山梨シルクセンター(サンリオの旧社名)より、やなせたかし短篇集『アゴヒゲの好きな魔女』を発売!! この童話集の3話目に登場する怪傑ゼロは、本当の正義は「身近な親切」だとするヒーロー。本当は怪傑ゼロが、元祖アンパンマンなのかもしれない?

1968年
(昭和43年)
12月、短篇童話『十二の真珠』連載開始!!

 2年前、『PHP』に掲載された『ブルブルとムクムク』の評判により、同じ雑誌で1969年1月号から短篇童話集の1年間連載が開始された!! この童話集が旧型アンパンマンが出てくることで有名な、『十二の真珠』のことである。連載当時は『こどもの絵本』というタイトルで、カラー作品だった。『ジャンボとバルー』(1月号掲載)、『アンパンマン』(10月号掲載)、『風の歌』(9月号掲載)、『天使のチオバラニ』(11月号掲載)は、戦争時代の悲惨な経験を書いたものである。

1969年
(昭和44年)
4月、名作絵本『やさしいライオン』掲載!!

 この頃、フレーベル館のフレーベル少年合唱団の指導をしていたボニージャックスは、やなせ先生の『やさしいライオン』絵本化を企画。こうして、やなせ先生の絵本第1段『やさしいライオン』が、『キンダーおはなしえほん〔1969年5月号〕』に掲載された。これが予想以上にヒットし、やなせ先生は、絵本作家の道を踏み始める。

6月14日、虫プロ制作『千夜一夜物語』上映!!

 虫プロの長篇アニメーション『千夜一夜物語』が上映!! やなせ先生は、漫画の神様手塚治虫先生の依頼で、キャラクターデザインを担当。

9月、旧アンパンマン登場!!

 『PHP〔1969年10月号〕』に、“旧型アンパンマン”が登場!! この物語は、『十二の真珠』(1970年4月、山梨シルクセンター刊)の6話目として収録され、「あとがき」には、「このストーリーも本当はもう少し長いストーリーにしたかったのです。」と書かれていた。

1970年
(昭和45年)
3月21日、映画『やさしいライオン』上映!!

 手塚先生は、前年の映画『千夜一夜物語』(1969年6月14日上映)がヒットのお礼にと、やなせ先生に虫プロでの短編アニメーションの制作を許可。やなせ先生は、そのアニメーションを、前年絵本でヒットした『やさしいライオン』(『キンダーおはなしえほん〔1969年5月号〕』発表作品)を選んだ。
 映画『やさしいライオン』は、毎日映画コンクンクールのアニメ部門で大藤賞を受賞し、最優秀動画賞、教育映画賞など、いろんな賞を受賞した偉大な作品である。

4月、『十二の真珠』刊行!!

 旧型アンパンマンが出てくることで有名な、『十二の真珠』は、この年4月、山梨シルクセンター(サンリオの旧社名)より、単行本として発売!! 挿絵は全て白黒になり、『チリンの鈴』と『ジャンボーとバルー』は、加筆されていた。


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